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数学の歴史:黎明期


数学史 黎明期

数学史 黎明期に追加したい内容

  • 演算記号の歴史
  • フランスの20進数
  • 英語のteenとtyの話
  • 古代ローマの数学
  • 古代日本の数学
  • 円周率
  • 分数、小数点の表記
  • 古代ギリシアの論理思考
  • 紙の歴史 製紙は最初は布だった
  • 中国は先進国 衰退していった。

歴史区分

今回の数学史の説明は、ヨーロッパ史の歴史区分でいうと古代~中世となります。

区分年代内容
原始先史時代人類の誕生以降
古代~5世紀文明の発生以降
中世5~14世紀封建制度以降
近世15~17世紀ルネサンス以降
近代17~19世紀産業革命以降
現代20~21世紀第二次世界大戦以降

文明の誕生

狩猟・採集では人は移動しながら生活していましたが、農耕・牧畜を覚えることで定住化が進みました。
畑をたがやして種を蒔いてある程度ほったらかすことで暇な時間もでき、刈り取りの道具や刈り取りを運ぶ道具、調理するための土器を作られるようになりました。 やがて一定の地域に少しずつ定住する者が増えて集団ができます。

しかし、集団から村や町や都市になるには段階が必要でした。

  1. 天水農業で雨だけに頼る方法はあまりに不安定で、土地が弱る(土の微生物がいなくなる)と移動をしなければならなかった。
  2. 川の適度な氾濫が起こることにより、肥沃(ひよく:地味が肥え、作物がよくできること)な土地が生まれ、土地が痩せることが無いから移動をしなくても良くなった。
  3. 灌漑農業という川から水を引いて溜池を作るなどの方法が生まれることで安定した食料の確保ができるようになった。

これらにより都市国家となって発展していきました。

人が定住し文明が発達し、集団で生活を始めると必ず権力者が生まれ、やがて支配階級が出来上がります。
農業でたくさん野菜や果物が収穫できるようになったので、農業に従事しない神官、商人、職人、戦士など農民以外の職業も生まれてきました。
神官たちは暦作成のために天文観測をし、それにより占星術も生まれました。
土地の区画などで測量技術や作図技術が発達し、税(収穫した穀物)を取り立てるのに算数(計算や比率の考え等)が発達した。

狩猟社会から農耕社会へ
文化から文明へ

古代文明

大きな川があるところに文明ができる。エジプトはナイル川、メソポタミアはチグリス川とユーフラテス川など。
今は世界四大文明とは言わないようだ。

数学の語源

数学(mathmatics)の語源

「数学」は中国伝来の言葉、ヨーロッパでの語源はギリシア語の「学ぶことができるもの」を意味する「マテーマタ(mathema)」

幾何学の語源

幾何学の英語は「geometry」 “geo”:土地、“metry”:測量 日本は中国語の「幾何 (キーホ) 」を輸入し「キカ」に。 geo(ジーホ)→キーホという音訳した説があるが、音訳は間違い(数学的対象の量一般を意味)の論文がある。

日本は江戸時代初期平安時代までハ行がなかった。

満洲語資料からみた 「幾何」 の語源について
関数の語源

数を知る

古代の人々は、1、2、たくさん や 1、2、3、たくさんなど3または4以上を数える術すべを持たず、【たくさん】と表現しました。
それでも「無」の概念は使っていました。狩猟をしてて何も取れなかったら、何も無いですからね。
現在でもパプアニューギニアやオーストラリアの原住民の中には、物を数える時に「1、2、たくさん」と数える種族がいるそうです。

ちなみに動物や昆虫は生まれながらにして数を数える能力がある。ただ数を数える数に限界がある。頭がいいと言われるカラスが数えられる数も4から5、訓練によって7つまで数えられるようになったという報告もあります。

数の概念

イギリスの数理哲学者ラッセルが「2日の2と2匹のキジの2が同じ2であることに気付くまでには限りない年月が必要だった」と言っている。
現代の人間の子どもも数の概念をあらかじめ身につけているわけではないし、1から100までの数字を言える子どもが100個のものを数えられるわけではない。

下記項目が分かって、初めて数の概念を理解していることになる。

  • 数を唱える、数の順序を知る(1,2,3,4,5,6,7,8、…)
  • 数の集合を知る(0,3の固まり、5の固まり)
  • 数の対応(1対1)…(スプーンとお皿、コップとストローなど)
  • 数の比較(同数発見)…形や色、位置が変わっても、数はかわらない。
  • 数の分割…オハジキを分割しても合併させても、総数は変わらない。→ 6歳頃から理解できる。

1対1対応

「calculate」は「計算する」の意味の他に、calc「石」-ate「〜する」で「石で数える」という意味もあります。

何か物を「1,2,3…」と数えることは、ものと数字を1対1に対応させる作業です。
数を使えなかった時代の人々が、手や体の部位や小石で数えたいものを1対1対応させていた。

例えば農家が30頭の羊を飼っていたとします、この農家の人は「30」という数は使えませんが、1対1対応を使って「数える」ことは知っています。
朝に放した羊が全部戻ったかどうかを確認するには、袋の中に多数の小石を入れて持って行き羊を1頭放す毎に小石を袋から出して岩の上にでも並べて置きます。
そして夕方、羊が1頭戻って来る毎にその小石を袋に戻します。岩の上の小石がなくなれば、羊が全部戻ったことになります。

「5歳8ヵ月」の子どもに「同じ数のいくつかの花ビンと花」を与えて、花ビンの1つ1つに花を1本ずつ入れてから花を取って束ねた後に「花ビンと花は、どちらが多いか?」と質問すると、「花ビンが多かった」と答える。これは花を束ねたので「少なく見えた」からである。

http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-f70c.html
http://www.nihongo.com/aaa/chigaku/suugaku/kigu.html
http://suikukai.com/category/1782348.html

数の分類

位取り記数法

定めた値を一区切りと考えて、そこから先は定めた値を組合せて数えていくことです。N 進法ともいいます。

10進法

人が日常使用している数値は10進法です。例えば30は10を3つと考えます。
10進法は、人の10本の指に由来します。
ちなみに、豊臣秀吉は多指症で指が6本(右手に親指が2本)あり信長から「六ツめ」と異名されていたそうです。

12進法

10進法と並んで多くの文明で使われてきたのが、12進法の考えである。
現在も12進法は、時計の目盛りは12時間、1ダースは12個などに使われている。

何故かというと約数が多いからである。
10の約数は1,2,5,10の4種類
12の約数は1,2,3,4,6,12の6種類

数えることが主流な文化では10進法を用いたのに対して、分けることが主流な文化では12進法を用いた。
天文学が発達した文明では方角を分ける際に、12という数が都合が良かった。

60進法

時計は1分60秒で60進法になっている。

約数の多い12でも分けられない数が5である。
5でも分けられる数を考えた時に、12×5=60だった。他にも10と12の最小公倍数で60。

また、紐を使ってコンパスのように円周を六等分する方法を知っていたから60進法を使うようになったのかも知れない。
数学をつかった裏技?!ピザを六等分しよう①

60は、1,2,3,4,5,6で分けれるし、10でも12でも15でも分けられる数である。
60の約数は1,2,3,4,5,6,10,12,15,20,30,60の12種類

メソポタミア文明時代(バビロニア数字)では60進法が使われていた。
古代バビロニアでは、1年を360日と考えていたので全円周を1年にたとえて360度とし、六等分した60を大切な数と考えて60進法とした。

http://www6.plala.or.jp/maeda-masahide/9jisinhou.html

桁記号記数法

桁記号記数法とは、ある大きさの値になると別の記号を使う方法です。
だいたい、10、100、1000と位が上がることに新しい使います。

13と24と3888をローマ数字で数を表してみます。

13   =	10 x 1	+ 1 x 3
     =	X	+ III
     =	XIII
24   =	10 x 2	+ (−1 + 5)
     =	XX	+   IV
     =	XXIV
3888 = 1000 x 3	+ 500 + 100 x 3	+ 50 + 10 x 3 +	5 + 1 x 3
     =	MMM	+ D   +	CCC	+ L  + XXX    +	V + III
     =	MMMDCCCLXXXVIII

ローマ数字の4(IV)や9(IX)と表現して4(IIII)や9(VIIII)としないのは、ローマ数字では4つ以上記号を並べないというルールがあるからです。
他の記号でも4つ以上並ぶようなら、(−1 + 次の位の記号)のようにします。

49 = (-10 + 50) + (−1 + 10)
  =  XL	 +    IX
  = XLIX

計算器具

足し算で先程の 13 + 24 = 37をローマ数字で数を表してみます。

  XIII
+ XXIV
-------
 XXXVII

このように桁記号記数法では計算が大変なため、「アバカス」という計算器具が使われていました。
木・石・金属などでできた板に溝を彫り、その溝の上で豆や小石を動かして計算を行います。

後に中国伝わり珠を串刺した形式で10進法と16進法の計算が可能であったが、17世紀に中国の明から日本に伝わり10進法専用になり現在の「そろばん」となります。
中国ではそれまで「ぜい竹」という細い竹の棒を使用していましたが、今では占い師しか使わなくなりました。

  

アラビア数字

現在、一般に使われているのはアラビア数字(インド数字)です。
本当はインド数字なのですが、8世紀にインドの隣にあるアラビアに伝わり13世紀以降にイタリアからヨーロッパに広がったことからアラビア数字と呼ばれるようになります。
伝来の歴史は後で説明します。

ちなみに、インドでは板の上に砂をまいて、そこで計算していたため歴史的な記録が残らなかったのです。

特徴

アラビア数字は位が変わっても1,2,3,4,5,6,7,8,9,0という10個の数字だけで済み、新しい記号を作る必要がありません。

ゼロの発明

インドでは、ゼロの発明したとよく聞くが何のことなのか。
ゼロには3つの使い方があります。

  1. 記号(空位)としてのゼロ
  2. 数(演算の対象)としてのゼロ
  3. 原点としてのゼロ

ゼロってナニ!? ゼロを拒んだ古代の偉人たち

記号(空位)としてのゼロ

ただ何もないということの記号であれば、古代バビロニア時代(60進法)にもありました。
例えば、アラビア数字のゼロ「0」を位の位置を表わした場合、一番右の数字は1の位、右から2番目の数字は10の位、右から3番目の数字は100の位というルールになっています。。

例えば「307」は、1の位が7、10の位が空位、100の位が3であることを表してします。

古代インドでもゼロは空白で表していたが、下記のようにすると見た目の表現的にも位の位置の区別が難しかったので、「0」を記号として使うようになったと思われます。

2 3  … (203)
2  3 … (2003)

「0」という記号が使われたもっとも古い記録は西暦686年のカンボジアに残っていて、少なくてもインドでは6世紀には「0」が一般に広く使われていたと推定されています。

数(演算の対象)としてのゼロ

古代エジプト辺りでは「図形の数学」として、「数」と「形」がセットで発達してきた 。 図形的に「0」は長さも面積もなく図形の世界には登場しない。意味をもたないと嫌われていた(宗教的にも) がインドでは「図形の数学」もそれほど発展せず、「数」が「形」に縛られる必要はなかった結果、インドのほうが数としての「0」の使用が進み、ヨーロッパはそれを取り入れる形になった。

17世紀の数学者パスカルでさえ、「0から4を引いても0だ」と言っていた。
日本も江戸時代末の1830年に刊行された「算法新書」から。

キリスト教(ギリシアを中心とした西洋)は神以外の無限を嫌ってゼロを否定し、仏教(インド)はゼロを空の概念から止揚した。

原点としてのゼロ

インドでは負債をあらわすときに負の数を使用していた。
ヨーロッパへはゼロの概念とともにアラビア経由で伝えられたが、ゼロの演算と同じく受け入れられるには時間がかかった。
負の数は-3個のリンゴのように「個数」ではイメージしずらい。
負の数は「数値線」があればイメージしやすい。


負数は小学校では教えない。虚数は高校から
虚数とは何か?複素数とは何か?が一気に分かりやすくなる記事

天文学

暦(太陰暦)

メソポタミア文明シュメール人が考案。太陰暦は「月」が基準

  • 最初は遊牧民は家畜の餌となる草が生える時期を知るため
  • 農耕が始まるとタネまきの時期を正確に知るため
  • 暦を知るため 月の公転周期により、1月30日で年12ヶ月で1年360日とした。

本当の周期は約29.5日、1月を29日と30日で調整(354日)
後に暦と季節のずれより太陽暦の要素を入れ太陰太陰暦に。
七曜制は月の変化(新月~上弦~満月~下弦~新月)の間隔が、それぞれ約7日のため、「7日」を一まとめしたのが由来。
月曜日の「Monday」は月(Moon)からきている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2
http://www.step.aichi-edu.ac.jp/iastronomy/astronomy.html
http://76871734.at.webry.info/201405/article_31.html
http://www.hkd.meti.go.jp/hokig/student/j01/cont.html
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/navigation/navigation.htm

暦(太陽暦)

エジプトではナイル川の定期的な氾濫により測量技術が発達。
1年が365日でめぐることを知り、季節の変化と一致しない太陰暦から地球が太陽の周りを回る周期が基の太陽暦に移行。
初めは1月は30日で年12ヶ月、5日の祝日を入れて365日とする民衆暦を工夫し、後に4年に1度の閏年をいれるようになった。

農作物の栽培に適合しているために次第に広く使われるようになり、カエサルがこれをローマに導入してユリウス暦とし、地中海世界・ヨーロッパで広く行われるようになった。

古代バビロニアの数学

古代バビロニアは、メソポタミア文明は含まれる。
メソポタミアは北と南と分かれるが、南側はウバイド期→ウルク期→バビロニア期となっており、ウルク期はシュメール人が文化の担い手だった。
シュメール人が都市、法典、楔形文字(くさびがたもじ)、青銅器、太陰暦や太陰太陽暦、七曜制、60進法も生み出し、エジプト文明、インダス文明の誕生にも影響をあたえた。

数学としては、粘土板に正方形の長さの1辺の長さを30とした時の対角線の長さが60進法で刻まれており、その値はルート2の1.41421・・・で小数点以下5桁まで現在の値と一致していた。

シュメール人
メソポタミア=シュメール ではない。シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニア、違いをまとめた。
粘土板

古代エジプトの数学

古代エジプト史は大きく3つの時代に分けられます。

  • 古王国(紀元前2700~紀元前2200年頃)
  • 中王国(紀元前2100~紀元前1700年頃)
  • 新王国(紀元前1600~紀元前1100年頃)

古王国はすべてのピラミッド(クフ王が有名)が造られた時代。

エジプトが1日を24時間にした。エジプトは10進法で、はじめは昼と夜をそれぞれ10に分けて20としたが、昼と夜の境界の時間をそれぞれに付け加えて24としたそうです。

数学は、灌漑や干拓のための測量、課税のための人口調査、生産物の貯蔵と配分、暦学、ピラミッドをはじめとする建設など「実用的な数学」として活用された。
幾何学では、円の面積の近似値、角錐台の体積を求める公式、半球の表面積を求める方式などの業績を残した。
記号代数学は存在しなかったが、言語による修辞的な代数によって単独方程式や連立方程式を解いた。等差級数や等比級数にも関心を示した。
かけ算は「たし算」と「2倍」のみを組み合わせて計算。
分数は2分の1や3分の1など分子が1と例外的に3分の2を使用。

古代エジプトの掛け算
エジプト式分数

古代ギリシャの数学

エジプトの測量や作図の技術は高度に発達していたが、なぜそれが正しいのか誰も証明していなかった。
若い頃にバビロニアで天文学とエジプトで測量や作図を学んだタレスが証明して図形に「論理」を持ち込んで幾何学という学問にまで高め人々に広めた。(論証幾何学)
論理的思考が出来たのは、当時のギリシア社会の民主制が関係していると思われる。
タレスの論証幾何学は、その後、ピタゴラスやユークリッドに受け継がれ、数学の発展に大いに貢献していくことになります。

民主主義は、女神アテナの国・アテナイで始まった

タレス(BC.624-BC.546頃)

ギリシアの植民地イオニアのミトレス出身。
若い頃にサモス島で商業を営み、商用で西アジアやエジプトなどを往来して、天文学や測量や作図などの知識を持ち帰った。
世界を構成する物は「神」が作ったものだという「神話的思考」から脱却し、ある事象を観察し自然法則を導くという「自然科学的方法」を初めて体現した。天文学では初めて日食を予言。
ピラミッドの影の長さからピラミッドの高さを求める方法を考案。
「万物は水なり」の名言を残す。

ピタゴラス(BC.572-BC.492頃)

サモス島出身。タレスの弟子のアナクシマンドロスに学ぶ。世界最初の音楽理論を考案。幾何学だけではなく数論もやり、偶数や奇数や素数、約数、倍数などいろんな数に名前をつけた。
三平方の定理(a^2 + b^2 = C^2)が有名。

イタリアのクロトンで宗教・哲学・政治を学ぶ一種の宗教集団を開き、何百人の弟子と生活した。弟子の研究でも教王のピタゴラスの名前で発表した。ピタゴラスの教義は「万物は数なり」。
やがて国の政治まで手をだし、反感をかって追放された。

ユークリッド(エウクレイデス) (BC.330-BC.275頃)

ユークリッド幾何学の創始者。複数人の共著の一人の説とも。
13巻からなる数学書「原論」を著わす。エジプトのアレキサンドリア大学校で講義するときの教科書であった。
幾何学以外にピタゴラスらの数論も全体の三分の一くらいある。

ユークリッド原論

アルキメデス(BC.287-BC.212頃)

円周率を3.14とし、小数点以下2桁まで正確に求めた。
アルキメデスの原理として有名な「浮力の法則」や「てこの原理」など数々の業績を残した。

円周率の歴史

中国の数学

中国では漢(紀元前1世紀ごろ)時代に編集された官吏のための教科書「九章算術」がほぼ完全な形で残っている。また、これより古い「算数書」が1983 年に前漢の墓から発見された。

なぜ支那に数学が発展しなかったのか?

九章算術

9章に分かれ、延べ246個の問題を収めた、問題集形式の数学書である。理由を説明することはめったにしなった。
あくまで実用面でしかなく数学は独立した学問とはみなされず、新しく定理や法則を作ると言う伝統が無かった。

アラビアの数学

インド数学から取り入れた特に「代数学(方程式)」が発達。インド数学とギリシア数学の東西の学問が融合された。

ヨーロッパでは紀元前のローマから中世の間の1000年以上めぼしい数学の発展はなかった。帝政のローマでは実用性のない論証的幾何学は注視されなかった。その間にアラビアで復活したうえで近世のヨーロッパに逆輸入された。
10世紀ごろにイスラム帝国にギリシア幾何学が復活。
これは教王の学問奨励で散らばっていたユークリッド原論などの資料がまとめ直されたため。後に大きな意味を持たらせる。

アル・フワリズム(9世紀)

アルゴリズムの語源(アル・フワリズムの名前)になった人。
天秤を見て、方程式に「移項法」という方法を思い付き導入した。
これにより、機械的に方程式が解けるようになった。

それを「al-gebra」の本にまとめた。「gebra」が代数で「al」は英語でいう冠詞(the)

演算記号

動画


数学の歴史/黎明期.txt · 最終更新: 2017/08/09 17:51 by yajuadmin