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数学の歴史:補足


補足

数学史 黎明期は、セッション資料として書いているので、細いことを書き過ぎないようにしたい。
細いことはこちらに書くこととする。

古代バビロニア

BC.1800頃 粘土板に正方形の対角線の長さの計算が書かれていた。

チグリス川とユーフラテス川は、エジプトのナイル川と違って洪水が酷く町がよく流されていた、河川氾濫が題材にもりこまれた「ギルガメッシュ叙事詩」は旧約聖書「創世記」に影響を与えた。有名な「ノアの方舟」の話がそうである。

欧米語では 12 まで固有名を与えているし、フィートやダースなど十二進法の度量衡が使われているが、これはシュメール文明の影響である。

ウバイド期に続く次の時期をウルク期(紀元前3500年-紀元前3100年)と呼び、この時期は都市文明の開始期である。
ウルク期からはシュメール人の時代となり、途中アッカド人の勃興も挟みつつ、ウル第三王朝の終わりまでが「シュメール時代」と呼ばれている。シュメール人の時代が終わると次に始まるのがバビロニアの時代。

楔形文字

楔形文字はパッと見は三角と棒のかたまりで、主として粘土板の上にほられている。最終的には600以上もの文字をもつようになった。このうちの約半分は表意文字と音節文字の両方としてつかわれた表意文字は日本語で漢字を訓読みしたようなもので、アルファベットのに1つの文字が1つの音をあらわすしくみは、標準的な楔形文字では実現しなかった。
楔形文字解読講座

参照

古代エジプト

古代エジプトでは、毎年夏になるとナイル川(世界最長6,650kmの川で日本の南北の長さ(沖縄~北海道)の2倍ある)は決まったように氾濫(洪水に満たない)を繰り返した。この氾濫は水とともに肥沃な泥土を周囲に運んだのである。その結果、泥土の堆積した土地はほどよい耕作地となり、農作物を豊富に産出したのである。
ナイルの定期的氾濫が関心事であり、ナイルの氾濫の周期をたしかめるとか、またはそれを予知する方法が熱望された。神官たちは天体を観察しながらナイル増水の時を調べ、7月の半ば明け方に天上第一の明星のシリウスが日の出と同時に東の地平線から上がって来るのが見えると、ナイルが増水することが解ってきた。翌年同じ場所にシリウスが輝くまでが365日。そして、またその時に増水がはじまるのです。

実用的な数学を用いた。その知識は、灌漑や干拓のための測量、課税のための人口調査、生産物の貯蔵と配分、暦学、ピラミッドをはじめとする建設などに活用された。ナイル河の氾濫により土地の境界を決定する必要があり、縄張師と呼ばれる測量係が存在した。

記号代数学は存在しなかったが、言語による修辞的な代数によって単独方程式や連立方程式を解いた。等差級数や等比級数にも関心を示した。 古代エジプトでは、毎年夏になるとナイル川は決まったように氾濫を繰り返した。この氾濫は水とともに肥沃な泥土を周囲に運んだのである。 その結果、泥土の堆積した土地はほどよい耕作地となり、農作物を豊富に産出したのである。このナイル川の氾濫時期を

古代エジプトでの長さの単位は「キュービット」という単位を用いていました。 キュービットは肘から中指までの長さからきており、身体尺といわれるものです。人それぞれ長さは違いますが、平均値で使われていました。 キュービットの単位は古代エジプトだけではなく、古代ギリシャや古代ローマ、古代イスラエルなどでも使われていますが、国によって1キュービットの長さが違っています。

エジプト数学の幾何学は、円の面積の近似値、角錐台の体積を求める公式、半球の表面積を求める方式などの業績を残した。角錐についての公式は、ピラミッドの建設に用いられている。 エジプトでは、一年が、洪水の季節(akhet)、種蒔きと成長の季節(peret)、収穫の季節(shemu)の三つの季節に分けられていたというのだから、ナイル川の水嵩の変動周期がいかに重要であったかがわかる。

古代エジプトでは、かけ算は「たし算」と「2倍」のみを組み合わせて計算していました。
古代エジプトのかけ算

パピルス

パピルスとはカヤツリグサ科の多年生植物でパピルス草ともいい、地上茎の繊維をシート状に成形することで文字などを記すことが出来る紙状の筆記媒体となる。
現在の紙と似たもので、初めて登場したのは今から約5000年前のことで、パピルス(PAPYRUS)は紙(PAPER)の語源となっている。

参照

古代インド

古代インドの数学で「膨れ上がった」「うつろな」の意 サンスクリット語: शून्य, śūnya (シューニャ 膨れ上がった物は中が空であるとの考え方から来ている。)すなわち数としての「0」の概念が確立された。ブラーマグプタは、628年に著した『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』において、0 と他の整数との加減乗除を論じ、0 / 0 を 0 と定義した以外はすべて現代と同じ定義をしている。

占星術

占星術の学識世界からの追放という現象において、転換点にあたるのが16世紀、17世紀であった。
占星術は14世紀以降大学のカリキュラムに組み込まれ、教えられていました。数学的諸学と自然哲学の両側面を合わせもつ占星術は、これら二つの領域を統合する役割を果たしていたのです。
錬金術も占星術も神智学も最初はオカルトではなく学問であった。オカルトをいうようになったのは17世紀からである。

占星術追放の長い歴史

余談:プマプンク遺跡

南米のボリビア(「天空の鏡」と言われているウユニ塩湖が有名)のティワナク(プレ・インカ期(アンデス文明)の遺跡)の外れに位置する巨石を使ったプマプンク遺跡がある。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置したところに、石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようになっている。曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術であり、年代を調べると1万5千年前であったとされる。
1万5千年前はギザのピラミッドより1万年以上古く文化的には最終氷期、後期石器時であるため、地球上で唯一宇宙人が造った遺跡と言われている。
プマプンク遺跡――失われたオーバーテクノロジー


数学の歴史/補足.txt · 最終更新: 2017/03/30 18:03 by yajuadmin