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数学の歴史:メモ

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数学の歴史:メモ [2021/05/22 13:07] yajuadmin数学の歴史:メモ [2023/01/14 00:57] (現在) – [数学史のメモ] yajuadmin
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 今後、数学史をまとめていく上でメモをまとめていく。\\ 今後、数学史をまとめていく上でメモをまとめていく。\\
 数学セミナー編集部が著した100人の数学者一覧 + 追加分  数学セミナー編集部が著した100人の数学者一覧 + 追加分 
 +
 +===== 数学史の勉強が必要か =====
 +ChatGPTに聞いてみました。
 +
 +数学の歴史についての勉強は、数学の起源や発展、そして現代における役割を理解するために役立ちます。また、数学の歴史を学ぶことで、数学が社会や文化にどのように影響を与えてきたかを知ることができます。さらに、歴史上の偉大な数学者たちがどのような発明や理論を行ってきたかを学ぶことで、数学に対する興味を深めることができます。
 +
 +ただし、数学の歴史を勉強する必要はありません。数学について学ぶことは、それ自体が重要であり、歴史を知ることはあくまで補助的なものです。
 +
 +数学の歴史を勉強することによって、数学に対する興味を深めることができるだけでなく、数学的思考力を養うこともできます。
 +===== 巨大な遠回り =====
 +{{:数学の歴史:巨大な遠回り.png?400|}}
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 +  * ヘレニズム期以後、ギリシャ世界の数学・科学・哲学の知見は西欧文化圏にはほとんど拡散しなかった。
 +  * 5世紀〜7世紀にかけて、主にシリア文明圏に引き渡される(シリア・ヘレニズム)。イスラム教帝国によってこれらがアラビア語訳。
 +  * 12世紀ごろから西欧に逆輸入(12世紀ルネサンス)。
 +  * 12世紀ルネサンスでは、イスラム地域から数学書が数多くもたらされ、アラビア語からラテン語に翻訳された(大翻訳運動)。
 +  * 12世紀ルネサンス期以後の西欧では、数学の担い手の社会的階層が広がった。
 +  * 特に職人・商人階級を中心に計算術や代数学などの実用的な数学の需要が高まった。(アラビア数字や記法を積極的に採用)
 +  * イタリアでは「算法教師」が計算やアルゴリズム主体の数学を発展させ、イタリアにおける代数学の基礎を築いた。
 +
 +=== シリア・ヘレニズム ===
 +  * ネストリウス派(イエス=神人両性、431年エフェソス公会議で異端宣告)のシリア亡命。時のササン朝ペルシャ皇帝に歓迎される。
 +  * 単性論者(人としてのイエスも神性、451年カルケドン公会議で異端宣告)。シリアで細々と修道生活しながらギリシャ文献のシリア訳。
 +==== 西洋独自の発達 ====
 +  * ルネサンス期以降:ギリシャ以来の「総合的・演繹的数学」とインド・アラビア由来の「解析的・発見的数学」
 +    * これらを融合・統一する試み
 +      * 幾何学の算術化
 +      * 代数学の幾何学的な一般性と厳密性
 +    * ヴィエトの記号代数学
 +  * 運動の数学的記述への試み
 +    * 不可分者の概念
 +    * 瞬間の速度・曲線の接戦
 +  * 微分積分学の発見=微分積分学の基本定理の発見
 +    * 無限小算術の厳密化ではない
 +  * 19世紀西洋数学
 +    * 量から概念へ
 +
 +
 +
  
 ===== 人物 ===== ===== 人物 =====
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 === エウクレイデス === === エウクレイデス ===
 === アルキメデス === === アルキメデス ===
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 +=== ヒュパティア ===
 +2009年スペイン映画「[[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E6%98%A0%E7%94%BB|アレクサンドリア]]」の主人公である女性
 +
 +西暦4世紀、キリスト教が定着し異教の排斥が行なわれ始めた時代の、女性天文学者ヒュパティアの学問に殉じた半生をアレクサンドリアを舞台に描く。
 +
 +=== ボエティウス ===
 +学問語であるギリシャ語の識字率が急速に低下、ギリシャ時代の高度な数学・科学・哲学の知識が急速に失われ始める。ラテン語の識字率が高い状態になっている時代背景がある。
 +
 +  * 480年〜525年。古代ローマ末期のイタリアの哲学者・政治家・修辞学者
 +  * ユークリッドやアリストテレスなどの著作をラテン語に翻訳しようとした。
 +  * しかし、政治的嫌疑をかけれら、東ゴートのテオドリック王によって処刑。
 === アポロニオス === === アポロニオス ===
 === ディオファントス === === ディオファントス ===
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   * [[https://diamond.jp/articles/-/251406|「農耕の開始によって定住が始まり、文明が生まれ国家が誕生した」という従来の歴史観はかんぜんに覆された【橘玲の日々刻々】]]   * [[https://diamond.jp/articles/-/251406|「農耕の開始によって定住が始まり、文明が生まれ国家が誕生した」という従来の歴史観はかんぜんに覆された【橘玲の日々刻々】]]
   * [[https://junkohabu.files.wordpress.com/2017/04/habu-2009.pdf|季節的定住と通年定住 - pdf]]   * [[https://junkohabu.files.wordpress.com/2017/04/habu-2009.pdf|季節的定住と通年定住 - pdf]]
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 +==== 大航海時代 ====
 +暗黒の中世からルネッサンスへ人びとの目も海外へ11〜13世紀頃、ヨーロッパではカトリック教会が大きな権威を持っており人びとの生活の中心には、キリスト教への絶対的信仰があった。この頃、イスラム勢力の支配下にあったキリスト教の聖地エルサレムを奪還しようとたびたび十字軍が組織され、キリスト教徒の騎士たちは東方への攻め込んだ。この戦いで、科学的に進んでいたイスラム文化と接するうちに、やがて頑迷なキリスト教徒たちの間にも、自己反省がおこなわれはじめる。
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 +一方で、14世紀ヨーロッパにおいて流行したペストの影響も少なからずあった。この疫病により、ヨーロッパは人口の4分の1から3分の1を失ったという。
 +このため、労働力が急激に減少し、賃金が上昇。農民が流動的になることで農奴に依存する荘園制が崩壊。また人材不足は、それまで大きく超えることがなかった身分の枠を飛び越えた人材登用を促した。こうして、封建的身分制度は実質的解体へと向かったのである。これかの背景に、教会の権威の失墜がある。ペストの脅威から人びとを救えなかった宗教に代わるものとして、14〜16世紀のヨーロッパには、知識を重んじるルネサンスの時代が来る。羅針盤に航海術も発展し、世界への乗り出す大航海時代がはじまったのである。
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 +「航海王子」と称されるポルトガルのエンリケ王子の指揮により、1422年以降アフリカ西岸を南に下る艦隊を多数派遣されたことが、大航海時代のはじまりといわれている。それまで通用していたプレイマイオス世界図では、アフリカの陸続きにアジアがあるとされ、アフリカとアジアは南半球でつながっているものと考えられていた。しかし、十字軍によって得たアラビアの知識では、アフリカには南端があり、それを超えてインドへの航海することが可能とされていた。彼らは、アフリカの先にどんな夢を見たのでだろう。1487年には喜望峰が発見され、1498年にはバスコ・ダ・ガマがカリカットに到着、インドへの直通航路が開かれた。
数学の歴史/メモ.1621656460.txt.gz · 最終更新: 2021/05/22 13:07 by yajuadmin